村上の新作

『騎士団長』を読みながら、この物語の登場人物のせりふの背後には村上がいるのを感じた。登場人物を創造するのは作者であるから、あたりまえのことだとは思うが、まるで村上が登場人物をあやつるかのように、いちいち登場人物の背後に移動しているように感じる。もう、これは村上の術中にはまっているということなのか。もうひとつ、強く感じるのは、登場人物のせりふも含めて、この小説は翻訳調に聞こえることだ。特にその会話のやりとりには、現実のことばのやりとりとは何か違うものを感じる。主人公が発見した「穴」にひとり入り時をすごす場面を読んでいると、井戸に落ちた兵士のことを思い出した。物語の展開は比較的容易に予想できるものであり、難解な表現は出てこないため、読みやすくなっている。しかし、二冊あわせて1000ページを越す長さになっているので、それなりには時間がかかる。

きつねとたぬき

きつねとたぬき

すっかり居場所を確保して居座るきつねとたぬき。同床異夢のはずなのに、なぜか一緒に暮らすきつねとたぬき。毎日、ひだまりでまったりと何をするでもなく、たまに語ることはあっても、本当のこころのうちは見せないきつねとたぬき。じつはリードしているのはきつね。たぬきは二代目。前のたぬきは、はっきりしない理由で姿を見せなくなってしまった。たぬきになれないきつねは、新しいたぬきを呼びいれ、自分の意のままにあやつる。ごほうび欲しさに素直に従うたぬき。たまには、きつねとたぬきで豪遊。いつまで、こんな生活が続くのか。きつねとたぬきにもわからない。惰性でいきているからだ。

オバマ広島に

本日アメリカ大統領が広島を訪問しています。すべてはE=mc2から始まったと言われていますが、いわば、このアインシュタインの成果が応用された結果、リトルボーイが日本に投下されたわけです。

 わたしはここ数年『沈黙の春』を三回生の学生と一緒に読んでいますが、雑誌「ニューヨーカー」にカーソンの、この、いわば告発書が掲載され始めた1962年、ベトナム戦争においてエイジェント・オレンジが使用されていました。イリノイ大学大学院生であったアーサー・ガルストンが1943年学位論文において報告した内容が、軍事関係者に利用され枯葉剤が作り出されていたのです。このことを知った植物生理学者ガルストンの長年の努力によって、ようやく枯葉剤の段階的使用中止が決定されたのは1970年のことでした。

 科学研究においてもっともクリティカルな問題は、このように、その研究成果が世界に与える影響であると感じています。しかし、これは科学者だけでは、どうにもならない問題です。まずは、わたしたちは「信頼される研究活動」を心がけなくてはなりません。 

17年目の21世紀

 ジョージ・オーウエルの『1984年』は未来小説だったはずだが、1984年はすでに遠い過去のこと、キューブリックとクラークの『2001年宇宙の旅』も15年も前の話になってしまった。今、わたしたちはどのような未来を希求すればいいのだろうか。

 スリーマイル島チェルノブイリにつづき福島でも原子力発電所が事故を起こしてしまった。原爆が投下された広島、長崎につづき福島までも、原子力の犠牲となった。1995年の阪神淡路大震災、2011年の東日本大震災につづき、2016年熊本大地震も発生し、まさに足元が揺らいでいる現在、2020年オリンピックの東京開催が決定していても、手放しでは喜べない状況である。豊かに富み栄えるべき島、福島に災いがもたらされただけではない。すでにこの国の成長神話はまさしく神話になってしまっているのに、いまだに経済成長を強く押し進めようとすることなど論外である。すでに軟着陸すべく、これからの未来を考えるべきときは過ぎている。